第一章 年の離れた先生
〈特別な感情〉
「河原 先生、好きです。付き合ってください」
「……は?」
県立佐倉 北 高等学校。街中からすこし外れたここは、一学年三十人弱しかいない小さな学校だ。
放課後、家に帰ろうと校舎を出た私は、学校の敷地と道路の境界でタバコを吸っている河原先生を見つけた。すこし小走りで駆け寄った……までは良かったのだが。何を思ったか。好きという言葉が、何の躊躇いもなく口から漏れた。
この想いは卒業式の日まで隠しておくはずだった。それなのについ漏れ出た一言のせいで、取り返しの付かないことになってしまった気がする。
「平澤 ……ふざけんな。寝言は、寝て言え」
「寝言ではないです」
ここは「寝言」ということにすれば良かったかもしれない。だけど言葉を口に出してから考えたのでは、何もかも遅い。
両手を強く握って小さく頷く。ここまで来たら、もう後戻りはできない……そう自分に言い聞かせた。
私、二年生の平澤 菜都 。勉強は嫌いで、成績は普通。テストの学年順位はいつも真ん中の辺り。部活はボランティア部に所属し、毎日一時間だけ活動を行っている。まぁ……可もなく不可もなく、どこにでもいる普通の高校生だ。
ただ、ひとつ。学校の先生に片想いをしている、という事実を除けば。
「お前さ。俺が教師である上に、アラフォーのオッサンだってこと分かってる? 冗談でも有り得ねぇよ」
「冗談ではないです」
担任の数学教師、河原 啓治 先生。四十一歳。
背が高くて全体的に細くて、スーツが良く似合う。声が低くて、手は大きく、指は細長い。サラサラの長めの髪。やる気のなさそうな、どんよりした目に黒縁の眼鏡。顔には皺もあり、決して若いとは言えないけれど……実年齢よりは間違いなく若そうに見える。
「先生に付き合ってくださいなんて、冗談で言いません」
バツ一で、現在独身。子供はいない。そのようなところまではリサーチ済みだ。
「平澤、高校生らしく同級生を見てみろ。近くにいっぱいいるじゃないか」
「違います、私は河原先生が良いです」
「はぁ……お前なぁ」
電子タバコを吸っている河原先生は、黒くて細い機械から吸い口のようなものを取り外し、携帯用の吸殻ケースに入れた。
「他に目を向けろ。俺はダメだ。以上」
そう言って河原先生は校舎に戻ってしまった。
「……先生が、良いのに」
桜の花びらは散り、沢山の木々が青々とし始めた四月中旬の今日。
私は、河原先生に振られた。
◇
「……河原先生に、告白した」
「はぁ⁉」
翌日の朝。学校に行くのがすこし憂鬱……という感情は抑え、今日もきちんと登校をする。いつも一緒に行動している、幼馴染の渡津 愛理 と三崎 圭司 の三人で。
「菜都、告白は駄目だよ。担任なのに気まずいよ、絶対」
「分かってるよ……でも、つい口走っちゃって」
愛理と圭司は二人とも頭を抱えながらすこし俯いた。
「しかし、なんでよりによって河原なんだよ。菜都の心情が心配」
「なんでって……圭司にはない、大人の魅力が素敵だから。圭司と河原先生は同じ名前なのに、比にならない」
「何それ、俺と比較しないでくれる⁉ てか、読みが『けいじ』で同じなだけで、漢字は違うから!」
三人横に並んで、ギャアギャア言いながら学校を目指した。
ほんとうは、先生のことを好きになってはいけないことくらい分かっている。思いを伝えてはいけなかったことも分かっている。だけど、今更そのようなことはどうでも良いと思ってしまうくらい、河原先生のことが好きなんだ。
もちろん、きちんと河原先生のことが好きな理由もある。でもそれは、またのお話。
「菜都のこと昔から知っていて、理解しているつもりだけどさ。河原先生に片想いだけは、どう頑張っても無理だわ。理解できない」
「こんな小さい学校で、気まずくなったらどうすんだよ」
二人の呆れたようなもの言いに、思わず口が尖る。
別に、理解されなくても良い。誰かに理解してもらいたいとは、思っていないから。
それはたとえ幼馴染でも例外ではない。そのようなこと思いながら、一歩ずつ歩みを進める。学校の校門まで、あともうすこし。
〈出頭〉
「はい、始めます」
「姿勢を正して、礼」
朝のショートホームルームの時間、教壇に立っている河原先生はいつも通りだった。
呆然と先生を見つめながら、つい昨日のことを思い出してしまう。心臓が激しく音を立て、すこし苦しい。
このまま、何もなかったことになれば良いのに……そう思っても、現実はそれほど甘くはない。
「今日は前に配布したアンケートの回収日だ。もし忘れた奴がいたら職員室に来て自首すること。連絡はこのくらいだ」
河原先生は、黒い出席簿とスケジュール帳をパタンと閉じた。そして、そのまま教室を出て行くのかと思っていたが、予想に反してなぜか目が合う。
「……あと、平澤。お前は問答無用で、放課後職員室に出頭な。忘れんなよ」
そう言い残して、足早に教室から出て行った。
「……え?」
フリーズしたまま固まっていると、ニヤニヤした愛理と圭司が近付いて来る。
「菜都、出頭……!」
「出頭って、警察署などに行くときに使う言葉だよな。職員室に出頭は違うと思う」
「出頭とか自首とか。きっとそんな言葉を使いたいお年ごろなのよ!」
「いや、言うてオッサンじゃん」
二人は私の横でそのような会話をしていた。
出頭って、なんだろう。昨日のこと? しかないよね。
盛り上がっている幼馴染を横目に、私の心臓は、先程よりも更に激しく音を立てていた。
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